新聞(主に全国紙)やテレビ(これも中央のテレビ局)は、もはやインターネット、SNS上では「オールドメディア」「レガシー」などと言われている。もちろん「終わっている」意味で使われている。
それこそ陰謀論と言われる勢いで、オールドメディアには世界から様々な資金が投入されており、その報道には少なからず偏向がつきまとう。中国韓国寄りと言われたり、アメリカの報道では反トランプ的な内容だったり、様々である。
しかし地方にとってそれよりも深刻なのは、「中央から見た地方観」しか得られないことだ。「地方は人口減少が激しく、産業もなく儲からず、いずれ終わる町だから、地方に貴重な税金を投じるのは無駄だ」という主張が毎日のように流れている。
こんな話を地方で浴びていると、いずれ自分たちの地域は価値がない、国から何もしてもらえなくても仕方がない、といったあきらめムードが当たり前になってしまう。
本当は、土地があって資源もある地方にこそ資金が投入されるべきであり、それこそが地方の活性化につながるのだ。そういった資金投入に関する真実もオールドメディアでは報じられない。このへんは財務省のプロパガンダ、支配構造にも原因があるだろう。
地方紙・地方局は、地元独自取材に素晴らしいものがあったりもするが、社会面の記事は共同通信あたりの全国紙準拠であったりする。地方メディアの人間にもオールドメディアは影響があるから、あまり大きく異なることは書けない。
2025年、河北新報の横山勲氏による『過疎ビジネス』が「第73回菊池寛賞」と「新聞労連ジャーナリズム大賞」を受賞した。中央の目線ではない、地方からの誠実な姿勢が評価された。地方からでもこういった例は出てくるのだ。
何も全国紙がダメで地方紙が良いと一辺倒に言いたいわけではない。だが全国紙を良いものと崇める姿勢はいかがなものかと思うし、そもそもどんなメディアも情報は玉石混交だ。情報を鵜呑みにせず、より身近で顔の見える情報を積み重ね、世の中を読み解くことが求められる。その中での違和感や信念を大事にしていきたい。
